♪ここで一緒に~
といきたいところですが、実際には「でわひとり旅」でした。
惜しい。
というわけで山形へ行ってまいりました。
なぜ山形なのか...自分でもよくわかりません。
今年の暑さと蝉の声が芭蕉ゆかりの立石寺へと向かわせたのでしょうか。私の思考回路に限ってそんな風流なことはないと思いますが、なにはともあれ、山形の生んだ歌人・斎藤茂吉と小宮豊隆が、かつて立石寺のセミがどうだこうだと揉めてたねと思いつつ一路、出羽へ。
山形は初めてです。
すがすがしい眺めです。吹き抜ける力強くさわやかな風を受けて生まれ変わる私。心清らかな天使になりました。
下りてきて、電車まで時間があったので芋煮も食べました。おいしかった。
その頃にはすでに天使ではなくなっていました。
ちなみに仙山線から見える山の稜線がなんとも、なんとも美しいです。広島・呉線から見えた海に次いで、忘れ難い光景となりました。
旅情とは、単に「異郷にいる」ことから生まれるのではなく、「故郷からどれほど離れたか」という要素が加わることにより深まるように思います。旅の醍醐味はやっぱり「思えば遠くへ来たもんだ」というところでしょうか。時短ばやりの日本、どこへ行くにもあっという間ですが、どれだけ遠くへ来たもんか、と故郷を思い起こせば旅の感慨もひとしおです。ねぇ、芭蕉翁。
かくして書きたいことは山ほどあれど、どれもこれも筆舌に尽くしがたく。
というよりお伝えするだけの腕がないことがもどかしく、この辺で筆を置きたいと思います。
以前知人に「かつて抱いたさまざまな想いが、折にふれて揺さぶられるのはつらいものだ」とこぼしたら、「熟成したうまいワインには必ず澱があるもので、思い出とはそのようなもの」と教えられました。
この旅も、いつか熟成したワインの澱となるか。
その前に私が熟成したワインにならんといかんのだ。いやはや、道遠しだ。
【きら】